築木館 久須志神社

- 鎮座地
- 青森市築木館字岩瀬
- 御祭神
- 大己貴命 少彦名命(オオナムチノミコト、スクナヒコナノミコト)
- 例祭日
- 旧4月8日
- 境内地
- 建物
- 由緒
- 安政2年(1855)の書上帖には、草創年月不詳、明和年中(1764~72)同村の佐次兵衛が再建、村中で維持してきた稲荷宮と薬師堂の相殿一宇、本社 板葺二而建坪弐尺四面、覆 萱葺二而建坪弐間に九尺と記されている。
明治初年の神仏分離に際して久須志神社と改められた。
築木館は、江戸期までは築野木館または槻館と書いた。
集落の東方の野内川左岸の丘陵端(たん)(字山ノ井)に築木館跡があり、「新撰陸奥国誌」には「館迹、本村の寅卯の方弐拾間にあり、今は畑となりて形界詳ならず」とある。
菅江真澄は「すみかの山」の寛政8年(1796)4月20日に「槻木館といふに至る。建武のむかし、隅田の小太郎なにがしの柵(とりで)のあととてあり」と記し、南北朝初期の砦跡と伝承する。現在も畑地で「タテの畑」と呼ばれるが、単郭の遺構に二重の堀跡や土塁跡が残る。